大躍進の2012年の反動か、今年は大物投資がSPケーブルのみという地味な年だった。
今年のテーマは如何に音楽を聴く・曲そのものを楽しむかかという点だったが、海外駐在員の悲しさ、出張の回数は多かったもののゆっくりと音楽に浸る時間があまり持てなかった。
音楽を聴く、これがなければ自分の目指す音作りの方向性は定まらない。
ハードウェア的には昨年CDプレーヤー、アンプ、スピーカーと音の入り口から出口までの全てが新しくなったので、エージングによって音は日々変化する筈だったが音を聴くことができるのは出張か休暇で日本に帰った時だけ。
これでは変化に気付くことができない。
エージングのために、自分が不在の間も家人にインターネットラジオを鳴らし続けてもらっている。
結構まめに鳴らしてくれているようなので、機器のエージングはそれなりに進んでいる。
特にスピーカーは大径ウーファーのエッジの動きがこなれてくる、車でいえば「アタリがついてくる」筈で、JBL4338がその実力を発揮し始める事を期待した。
但し、4338を購入した時に「このスピーカーがきちんと鳴るには3年ほどかかりますよ」って言われたことを考えると、まだまだ黄金期には程遠いのかもしれない。
音の記憶は、味覚や嗅覚同様に曖昧である。
また、季節や体調、それに加えて再生しているソフトの影響も非常に大きく、自分のオーディオの音が昨年に比べて、先月に比べてどう変化しているかを知るのは容易ではない。
かといって、心頭滅却して同じソフトばかりを繰り返し聴くのでは、音楽を聴いて楽しむという本来の目標から逸脱してくるという矛盾をおこしてしまうのである。
所詮、趣味のオーディオではあるが悩みは尽きない。
そもそも何故これほどにオーディオに入れ込むのだろうか。
それについては自分なりに思い当たる節がある。
前述したように音の記憶というものは非常に曖昧なのだが、その音を聴いた情景や心境を思い出させるのも音の記憶の特徴である。
10代、20代に聴いた曲を聴くと、ふとその瞬間にその頃の自分を思い出すことがままある。
高校時代にアルバイトをしていた和菓子屋。年末の餅つきのアルバイトだったが、朝早い仕事なので住み込みのアルバイトだった。仕事も夕食も終わったひと時、和菓子屋の息子の部屋で聴かせてもらったステレオはパイオニアだった。貧乏ったらしい部屋にはそぐわない本格的なコンポが輝いていた。
浪人時代の年末、予備校の冬期講習の講義の間に立ち寄った喫茶店で鳴っていた吉田拓郎。受験を間近に控えるも受かる保証もなく、侘しい気分で拓郎を聴いていたことを思い出す。
懐古趣味で入れ込んでいるわけではないのだが、オーディオには少なからずそうした一面があるのだろう。ただそれだけでは後ろ向きの趣味になってしまうのだが。
音楽全般に言えることだと思うが、初めて聴く知らない楽曲に感動することよりも、自分の知る好きな楽曲に触れて感動ことの方が多いだろう。これを時間軸で置き換えると、どうしてもその楽曲を聴いたという過去の経験があった上での喜びみたいなことになる。映像など視覚に訴えるものはどちらかというと逆で、初めて見るものに心打たれるという事が多いのではないだろうか。
40年前の音に再会する、でも今の方が生々しくて新鮮な音、なんていう事がオーディオではままある。これもオーディオの醍醐味の一つだろう。
最近はクラシックとジャズを聴く機会が多い。
曲の良し悪しよりも、音の良し悪しで聴く曲を選んでしまうのはオーディオ趣味人の悲しい性だと思う。だが、今年は今まであまり聴いたことがない作曲家やジャズプレーヤーの曲を意識的に聴いたことが一つの進歩だった。
新しく接する音楽には未知の喜びのポテンシャルが隠されている。
そんなに長く残されてはいない人生の時間に、如何に多くの音楽との出会いを得られるかが今後の目標となるだろう。
例年のように年末には地元のオーディオ師匠との納会があり、それが終わると2014年になる。
3年を越えた海外駐在が何時まで続くのかは定かではないが、2014年が更なる進化の年となることを祈って2013年のオーディオ総括としたい。