生真面目過ぎるかな…DL-103R

M44Gから始まったカートリッジ彷徨がPP-300まで行く着いた経緯とPP-300に感じたことを前回述べた。その後の自然な流れとしてPP-300をDL-103Rに付け替えてみた。久し振りのDL-103Rだ。
このDL-103R のヘッドシェルはオーディオテクニカのMG-10と質実剛健、リードワイヤはSAECのSR-500とちょっと贅沢、それに加えて湘南台でんき堂オリジナルの補強プレートががちっと噛まされている。全般的には堅牢さを重んじた構成だ。

質実剛健なDL-103R

で、音はどうかという話。
結論からいうと「これぞベースライン」という音。決してつまらない音という意味ではない。どんな側面、特性をとっても合格点という出来の良さなのだ。
この間まではM44Gをベースラインとして各カートリッジの性格や特長を語ってきたのだが、DL-103Rを聴いてみてわかったのは実はM44Gは個性的なカートリッジだということだった。そういう意味では比較のベースラインというか原点とするのならDL-103Rの方が適役である。DL-103R の音をもう少し具体的に述べると「密度の高い音」、これはPP-300でもそうなのでMCカートリッジの特徴なのかもしれない。
それから音数の多い楽曲に屈しない分解能の高さ。
真面目に、正面からじっくり取り組むタイプ。MMカートリッジのような軽快さ、フットワークの良さ、楽しさとは対極ではある。

ここからは愛聴盤のいくつかの感想。
<バックハウスのベートーヴェン後期ピアノソナタ集(30/32番)>
グランドピアノの重量が3割方増したような重厚感。余韻や倍音もきちんと出ている。元々が生真面目なバックハウスの演奏だが、さらに生真面目さが増して修行僧の心境で弾いている達人という雰囲気。しかし悪くはない。
<ジョージベンソンのBreezin’>
西海岸から東海岸に引っ越したような。(元がどこのスタジオかは知らないんだが)
ちょっと知的になったかな。
民放ではなくNHKで演ってる感じ。
<ビルエバンズのWaltz for Debby>
ノリノリではないね。
ビレッジバンガードの不良っぽい雰囲気が(行ったことはないけれど)ちょっと洒落た社交場のように聴こえるのは気のせいか。
<グレングールドのゴールドベルク変奏曲>
音の角が丸いというか輪郭がとがってはいない。
みっちり中実な音というの感じ。

トータルでどうなのか。比較する相手はV15 Type-3にJICOのベイシーモデル、我が家のMMカートリッジ群のエース・・・すごい強敵。
DL-103Rには悪いけど、どっちが好きと聞かれればやっぱりV15 Type-3だな。この後久しぶりにM44G Woodyに交換したんだけど、DL-103Rと比べるとやっぱりM44G Woodyの方が好きかな。
DL-103RといいPP-300といい、MCカートリッジは生真面目過ぎてきちんと向き合わなければならないような気がして僕にはちょっと疲れるんだなぁ。ある程度きちんと調整したMMカートリッジはハイファイさにおいてもMCカートリッジに引けを取らないし、独特の潤いがあるのが良い。都心のレストランやオーセンティックなバーより、勿論それもとっても良いんだけど、下町の居酒屋やジャズバーの方が好きだなっていう感覚と似てるね。
ここまで書いてみて思ったんだけど、SHUREのMMカートリッジ群が素晴らしいのか、JICOのスタイラスが素晴らしいのかはじっくり考える価値ありだ。

M44G Woody

そういえばカートリッジの話そのものではないんだけど、近頃はレコードを聴いたら盤面の状態に関わらず必ず洗って乾燥させてというのをルールとして実施している。ちょっと過激に歯ブラシも併用して目につく汚れはゴシゴシとやってる。そもそもが数百円の中古盤が多いので神経質になる事もないかと思うし、原始的なクリーニング方だが繰り返せばきっと効果もあるだろうと虚仮の一念みたいなものである。気のせいかもしれないが平均的に音が良くなってきた、幸せだね。
レコードクリーニング道には一家言を持つ先達が沢山居る。ネットを探せばいくらでも出てくる。だがちょっと違和感を感じるのは「絶対こうすべき」というだけにとどまらず「ああいうやり方は間違ってる」みたいなのが多いという事。拘りを持つことは良いことだが排他的なのは料簡が狭くて嫌だな。これから、自分なりにレコードクリーニングは研究したいと思っているが、決して手排他的にはならぬよう気を付けたい。

「聴いたら洗う」の習慣