結界門の先まで登ってみた

信じられないような暑さが続く中、涼しさを求めて大雄山最乗寺に行ってきた。此処は最近、我が家のお手軽ドライブの常連となりつつある。片道1時間ほどで途中に道の駅もあるし、なんといっても参道から続く立派な木立ちが良い。

とは言いながら、いつも本堂のある広場でお線香をあげてプラプラしてお終いで、奥の方に何があるのか、そもそもどれぐらい奥まで続いているのかを探索したことはなかった。

「碧落門」からいったん外に出ると木陰の中で日に当たる緑の鮮やかさが目に染みるようだ。

「結界門」の周りも濃い緑に覆われている。

「結界門」をくぐって俗世界から聖なる場所へと踏み出す。

右手には「洗心の滝」があり、そこから清らかな水が渓流を形作っている。水が冷たい。

もとの広場に戻って階段を登っていく。周囲の木々が鬱蒼としていて心地よい。

この先に「奥の院」があるのだが、バテてきたのと下調べをしてこなかったので今日は断念、右手に廻って「御真殿」に出た。此処が大雄山最乗寺最大のパワースポットらしい。

御神籤を引いて下山することにした。ちなみに御神籤は47番だった。恥ずかしながら云わせてもらえば、この歳になるまで同じ番号の御神籤には同じことが書いてあるとは知らなかった。
で、47番であるが中吉で大意としては「古きをすてて新しきにつくがよい → あまり一つの物にとらわれて役に立たぬことを思ってはだめです。元気を出して捨てるべきはすて、進む所へ進め」ということらしい。ちょっと遅きに過ぎるような気もするが、これから先の事に対してそう考えることにしたいと思う。
また47番の短歌、「ながむればながむる花のあるものを空しき枝にうぐいすのなく」は色々な解釈があり、直訳をすれば「せっかく花の付いた枝もあるのになんで鶯は何もない枝で鳴くのだろう」ということで様々な解釈があるとは思うが、自分なりの解釈をすれば、「あるべき姿という固定観念は取り去って素直に物事を考えよう」ということのように思える・・・考え過ぎだろうか。

本堂のあるいつもの広場に下りてきた。真夏の草花の勢いが寺を覆い尽くそうしている。

水場に目をやると涼し気な眺めだ。

帰って調べてみると標高は400mしかない大雄山最乗寺だが、木の多さなのか、霊感スポットだからなのか、空気も水も澄んだ涼気を感じるところだった。秋の紅葉の季節に「奥の院」を目指すことにしよう。

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