銀塩カメラ沼…

前々からそろそろ片を付けなければと思っていたのは銀塩カメラ。
ロフトのドライキャビネットに眠っている銀塩カメラとその交換レンズ、それ以外にも保管用のアルミトランクに収納しているものもあるので相当数あるはずだ。その数、カメラだけでも30台ぐらいはありそうだ。
YouTubeで偶然 田中長徳氏のサイトに行き当たったのも何かの兆しと捉え、ここらで決着をつけるかという気分になった。

こうした銀塩カメラの氾濫は1994年ごろに駐在先のドイツで数カ月遅れのアサヒカメラだったか日本カメラを買ったのがきっかけだった。それまでは子供たちの記録用にと買ったリコーのコンパクトカメラと、欧州駐在時に父から貰ったニコンの一眼レフを実用的に使っていた。旅行に備えてシグマのズームレンズをリュッセルズハイムのカメラ屋で買ったのも物欲からではなく、あくまでも実用上の理由からだった。それがある日手に取った一冊のカメラ月刊誌でスイッチが入ってしまったのだった。

1995年夏にドイツからイギリスへの転勤があった頃にコンタックスのRXを買ったのを皮切りにカメラがどんどん増えていく。何故か新品のカメラは増えないのだが中古というかアンティークなカメラが増えて行った。
当時は田中長徳氏のライカ本を始めとしたアンティークカメラ本の絶頂期、赤瀬川源平氏の精密スケッチのアンティークカメラ本も面白かった。MONO本でもアンティークカメラ本がどっさり。
偶然だったのだが(当時の)ロンドンには中古カメラの店が沢山あったのだ。車で30分足らずで行ける大英博物館近くに中古カメラ店で構成されるアーケードがあり、気が付くと毎週の様に出掛けていくようになってしまった。
対象となるのは:
① 日本製のコンパクトカメラ(オリンパスペン、ヤシカエレクトロ35など)
② 日本製の一眼レフ(ペンタックスSPF、キャノンA1など)
③ ドイツ製のコンパクトカメラ(コダックレチナ、コンタックスⅡaなど)
④ それ以外の珍品やアンティークカメラ。(ロシア製のカメラなど)
いずれも安くて可愛げがある。中には動作のおかしなジャンク品みたいなものもあったのだが、毎週来る常連客だったのでサービスで別の品物に交換してくれたりしてほのぼのとした雰囲気だった。ちなみに至近距離にある大英博物館に行ったのは一度きり、それもロゼッタストーンあたりで引き返してしまった。入場が無料なのでまたくればいいかということで。結局二度といくことはなかったのだが・・・。

そうした俄か収集家が行き着くのはアレ・・・ライカである、しかもM3が一番人気。行きつけのカメラ屋の兄ちゃんが程度の良いM3をいくつか用意してくれた。で、買ったのがこれ。

購入当初は沈胴式のズミクロン50mm/F2だったが、今ついているレンズは後年銀座の清水商会で購入したヘキサノン35mm/F2。いつ見ても恰好良い、これぞ工業製品の美の極みだ。と、久し振りに引っ張り出したM3にどんどん引き込まれていく・・・魅力を超えて魔力といえる。このままではまた「銀塩カメラ沼」にずぶずぶといってしまいそうだ。

ここで冷静に考える。M3をはじめとする愛すべき銀塩カメラたちと「今」どう接すべきなのか。今からもう一度彼らを愛でることに意味はあるのかと。
2001年に発売されたオリンパスのCAMEDIA C-4040ZOOMというデジカメを手にした時に銀塩写真と決別したことを思い出す。QCDを考えるとQ(品質)の部分で銀塩が少し勝る所はあるのだが、CとDではデジタルにまったく歯が立たない。
似たような工業製品にはLPレコードがあり、1990年ごろにCDを筆頭とするデジタルに完全に置換されてしまったように思えた。ところがLPレコードには銀塩写真以上にデジタルに対する品質優位性や個性があることが再認識されて復活、米国では昨年あたりにCDを逆転する規模のビジネスとなったらしい。勿論、主流はストリーミングというデジタル技術なのだが、どんなに優れたデジタルでも置換ができない魅力がLPレコードとその再生機器には残されていたということなのだ。
残念ながら銀塩写真にはその余地がなかった。品質にこだわるプロのカメラマンたちも全面的にデジタルに移行してしまったのだから。コダックという世界的な巨大企業が消滅してしまったことがそれを証明している。

ということを今一度考えた・・・ごく少数を残してあとは処分(売却と廃却)するべきなのだろうが、そう簡単には割り切れないような気がする。取り敢えずは魔窟ドライキャビネットを開けてからにしよう。
あ~、悩ましい。

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