ゆっくり考えよう

断捨離のつもりで長らくロフトの片隅のドライキャビネットに仕舞い込んであったカメラの整理を始めた。
①手元に残すもの、②保留、③売却、④廃棄
という分類で種分けをする。

ライカM3やコダックレチナ、そして父の形見のキャノン7などは①として最初から残すつもりだ。ただそれ以外のカメラに関してはデジタルと比較して殆ど合理性の無い銀塩カメラに今更戻るつもりはない・・・のだが、ひとつひとつを手にとってみると懐かしさと共に理性を超越した魅力、魔力が伝わってくる。
多数ある日独、共産圏のM42マウントがそのまま使えるペンタックスのSPF、当時としてはかなり頑張った電子制御のキヤノンA-1とその交換レンズたちも手元に置いておきたいものだと思い始めた。また、本格的な一眼レフとして初めて購入したContaxのRXについては50mm/F1.4の標準レンズだけでなく、85mmのSonnar、そして28-85のVario-Sonnarという銘玉Carl Zeissが元気な状態で保管されているのでこれも捨てがたい・・・と、気を許すと①と②ばかりになってしまうのだ。
35mmフィルムの入手性が悪いことがブレーキになってくれるとは思うのだが(カセットのメタルテープよりは良いけれどね)、此処は心を鬼にして断捨離を遂行したいと思っている。

しかしながら何処までの断捨離を行なうのかの判断には、実際に写真を撮ってそのプロセスの楽しさ、写真としての出来栄えを確認しておかねばなるまい。こういう時に問題となる(水銀)電池もかなりストックしてあるし、、、放電が心配だが。
まずはこれらのカメラに今や希少品のフィルムを装填して撮ってみよう・・・ところが、昔使い慣れたカメラを手に取ってみると基本的な使い方をすっかり忘れている、フィルムの装填も露出の合わせ方もカメラによって色々だし。
YouTubeで『XXXの使い方』みたいなのが多数あるのでそこから勉強のし直しだ。

とはいえきっかけは断捨離なのだから、③も④もきちんとやろう、ということで最近うまくログインの出来なくなったメルカリのトラブルも解決した。
③のカテゴリーの中心は日独のコンパクトカメラ、共産圏のカメラとレンズになりそうだ・・・と書いてはみたものの、実物を手に取ってみたらこういうのが良いのだ。グッとくる。

デジタルに対する合理性が見出だせないという理由でお蔵入りした銀塩カメラの復権と、新たな趣味としての台頭はあるのだろうか。ただし、最近リバイバルしたゴルフと同じで、もう新たな投資と大きな出費を掛けないことは決めている、そうならないなら③と④中心に方向修正するつもりだ。

時間は無限にある、、、四半世紀前に撒いた種はどんな花を咲かせるのだろうか。

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