神様との邂逅

2月17日晴れ。千葉の市原の所用があり10時に藤沢を出発、昼前に市原に到着し用事を済ませた。
昼メシ時ではあるが、9時過ぎにしっかりとした朝食を摂ったのでまだ食欲は無い。
で思いついたのが館山のコンコルドだった。
コンコルドといえば知る人ぞ知る佐久間駿(すすむ)さんの営むレストランである。料理人佐久間さんの作るハンバーグも美味しいが、此処を訪れる人の99%は佐久間さんの作る直熱式真空管のアンプ、そしてオリジナリティの溢れるモノーラルスピーカーの音を求めて来るのだ。よって「そうだ、昼メシに館山でハンバーグを食べよう」という純粋な(?)動機でコンコルドを目指す僕達は相当の変わり者であるとも言える。
館山道があるおかげで市原から50分ほどの快適なドライブで館山に到着、カーナビの指示に従って市街地を進んでいく。商店街を右に折れた小路のどん詰まりにコンコルドはあった。

時刻は13時半、昼食時も済み人気を感じない。店の前の道に車を停め、恐る恐るドアを開けると佐久間さんが居た。「やってますか?」「やってますよ」
「どこに座りますか?」と聞かれた時、一瞬正面のカウンター席も考えたがハンバーグを食べるのにカウンターはどうかな~と思い、左奥の部屋に入った。テーブルが3つある。
「お昼のお客さんがさっき帰っちゃったから消しちゃったんだよね。」と言いながら石油ストーブに点火してくれた。灯油の匂いを感じながら部屋を見渡すと、由緒のありそうなポスターや写真、大きな花瓶に生けられたドライフラワーなど、ちょっとくたびれた感もあるが落ち着く空間だ。

何も言わないのも変なので「雑誌とかでお見かけしています。」というと、「オーディオ好きなんだ」と納得の表情だった。
「ハンバーグ?」と聞かれたので了承すると、氏はお盆にナイフとフォークとナプキンを載せて運んできてテーブルの中途半端な位置に置いて調理場に消えた。お盆を置き忘れたまま。
店の中には小さな音量でクラシックが掛かっていた。どの部屋のどのスピーカーから出ているかは不明。ハイファイな音ではないが、心地良いノスタルジックな音だった。
暫くすると上品な感じの奥様が登場、ナイフとフォークの位置を正し、熱せられた鉄板にのったハンバーグとライスを運んできた。次に何が来るかなと思っていたら水だった。

ハンバーグは美味しかった。後で聞いた話だが肉は豚肉100%だそうだ。牛肉が入ると嫌な臭みが出るからとのことだった。
ハンバーグ定食を食べ終わった頃、佐久間氏が来て「せっかくだからカウンターに来て聴いていきなよ」とお誘いの言葉。ここでコンコルドの特等席であるカウンターに移動した。
前述したように此処に来る客のほとんどは佐久間氏手造りのアンプとスピーカーの音を聴きにくるわけで、最初から奥の部屋を選んだ僕達に佐久間氏がちょっと怪訝な表情を浮かべた訳がわかった。
カウンター席に座って改めて店内を見渡してみる。この店は入り口から見て正面に5~6名が座れるカウンターがあり、右側にある部屋にはアルテックのA-5を中心としたスピーカーと氏の製作した真空管アンプがぎっしり。

そして入り口の左側の部屋には氏の作業机とその上には最新作のアンプが置いてあり、此処でMJ誌への記事の執筆も行なわれる。デンオン(ここでは敢えてそう呼びたい)の放送局用レコードプレーヤーやDAT、奥にはALTECというステッカーの貼られたスピーカーが2本縦に積まれている。この部屋が佐久間氏のもう一つの仕事場(主たる仕事場は言わずもがな調理場)であるようだ。

そして更にその奥には僕達がハンバーグを食した食堂風の部屋がある。全般的に薄暗くレトロな感じではあるが、古臭いと言う意味ではなく、何か外国の部屋というたたずまいだ。それを佐久間氏に言うと、「う~ん、外国の雰囲気か、まあ『あの世』って言われたこともあるからな~」との答えだった。
佐久間氏は、その道(真空管アンプの世界)では「神様」とも呼ばれる人なのだが、こちらは予備知識が無い上に他の客もいないので緊張感無く「僕は『石』派なんです。真空管ならではのこういう優しい音は出ないんですよね~」と言うと、氏は「石のアンプでもこういう音造りはできるんだよ」と優しいテンションでお答えになった。「(スピーカーは)JBL?」と問われたので「そうです。アンプはマッキントッシュです。」と正直に答えると「人気のある組み合わせだもんね」と神様はお答えになった。もし、氏の信者の方に聞かれたら怒られてしまいそうな無礼なやりとりであろう。
「コーヒー飲む?」と聞かれたのでお願いする。
僕達がカウンターに座ると氏はカウンターの向かいの飾り棚に納められたアンプに点火、そして左奥にある作り付け棚に鎮座するレコードプレーヤーの扉を開けておもむろにレコードをお掛けになった。「John Coltrane and Johnny Hartman」である。スピーカーはかの樽入りローサーであろう。

食事中の音量よりは大きくなったが、未だ控えめで快適な音量である。

「ここには佐久間さんの音を聴きに来る方が多いんでしょうね?」と尋ねると「遠くから来てくれる人が多いんだよね」とおっしゃったが、後で調べると地球の裏側のブエノスアイレスから来た人もいるとか・・・
話の流れで同様にオーディオ巡礼の多い一関の「B」の話になる。JBLのユニットを組み合わせた爆音のジャズ喫茶として有名だ。氏曰く、「一関の『耳直し』に此処を回っていく人もいるんだよ」、「だって全然方角が違うじゃないですか」・・・事実らしい。「評判悪いよ、『いらっしゃいませ』も『ありがとうございました』も言わないらしいね。(一関は)」と言う氏はレストランという接客業に誇りを持たれているようだ。アンプ作りはあくまでも趣味だそうだ。

他の趣味は堤防での黒鯛釣り、凝っていた頃は年に60も100も釣っていたという。あとはパチンコとカラオケ。なんと神様らしくない低俗な、なんて全然感じていないようだ。「パチンコの途中でお金が無くなって喫茶店に10万円持ってきてもらった」とか「(パチンコやってる時は)昼も夜もチャーシュー麺、それも同じ店のさ」などなど凝り始めると徹底的にやるタイプのようだ。カラオケも朝までって言ってたし。
そういう一見無頼な佐久間氏だがタバコも酒もやらない。タバコについては「昔は馬鹿みたいに吸ってたけど、そのお陰で肺をダメにした、二回も手術したし。今は肺気腫なので風邪をこじらせても危ない」のでインフルエンザの季節は恐くて店から外に出ないそうだ。それに加えて、タバコのヤニはスピーカーのエッジをダメにするとの事で店内は禁煙だった。

とか世間話をしているうちにレコードはデクスタ・ゴードンの「Gettin’ Around」に換わった。

アンプもスピーカーもそのままだったが途中からどんどん音が良くなっていくのが実感できる。「真空管だから暖まると音が良くなるんだよ」とのお言葉、そりゃそうだ。
レコードプレーヤーはガラードの401、カートリッジはデンオンのDL-102である。氏の特徴はモノラル再生なので当然か。リムドライブは力強い音がするのでガラードはこれで3台目だとのことだった。
「いや~良い音だな~」と自らポツリ、うっとりとした表情で。神様と呼ばれる大御所がこんなに純朴な感性を持っていることには驚いたし、この一言に大いなる親近感を覚えた。

ふと見れば先ほどの「John Coltrane and Johnny Hartman」のジャケットにはガムテープ補強が、そしてカウンターのどん詰まりに置いてあるマイルス・デービスの「My Funny Valentine Miles Davis in Concert」もジャケットが擦り切れてガムテープで補強してあるのとそうでないのがある。

先ほど奥の部屋でハンバーグを食したときに窓越しに見た氏の仕事部屋には綺麗なジャケットの「John Coltrane and Johnny Hartman」があったのだけどな~

と思って氏に尋ねると、同じイシューのレコードでも音の良し悪しの個体差があり、結果的にどうしても同じ盤ばかり掛けてしまうのでジャケットがボロボロに、そしてガムテープにという道筋を辿るらしい。「なんでもガムテープさ」とのご発言だった。

そういえば店内の写真を撮る許可を求めたところ、「そこにある(アンプ)のはMJ(無線と実験)の4月号に載せるやつで3月10日発売だから、それは撮らないで。(あとはご自由に)」とのことだった。直熱式真空管アンプの話では「1200ボルトもかかってるから(触ったら)命懸け」という説明もあったりして、そのうちに例の(未発表の)新作アンプの話になり(自らそっちの話に)、我が家人に「これ幾らかかってると思う?」とお尋ねになるので、神様のお造りになるアンプなのだからビックリするような額かと思いきや「80万円もするんだ」と思いっきり庶民の金銭感覚の神様だった。尚、くだんの新作アンプの左側に使っている真空管は30万円もするものでコレクターから購入したそうだが、動作しなくなった時のスペアとして2本付けてくれたとのこと。まあ神様への貢物のようなものなのだろう。

前述のように佐久間氏のアンプ作りはあくまでも「趣味」であり「商売」ではない。氏はアンプをどんどん作っていくのだが売り物にはしないらしく、置き場所がなくなるとなんと箱に詰めて仕舞ってしまうそうだ。なんと金欲のないことか・・・清々しさすら感じる。よって氏のアンプの音を楽しむには館山のコンコルドを訪れるか、MJに掲載される回路図を元に自作するかの二択しかないのだ。半田ごてと親しくない僕には前者しか選択肢はないのだが。稀に例外的に海外の、特に中国のコレクターに売ることもあるらしい。年に数回、バイヤーというかブローカーというかそういう輩が尋ねてきて売ることになる事もあるようだが、末端価格は1000万円ぐらいになっているかもしれないらしい。でもクレームが多くてかなわないとの事だった。
MJからの原稿料はあるがアンプを金にする気はないらしく、その一方で新作のアンプにお金をつぎ込むことになるので常にお金はあまりないらしい。正に『清貧の人』そのものである。

そうした商売っ気の無い氏を支え続けてきたのが奥様。若い頃、銀座あたりでゴロツキみたいな連中と付き合っていたのを救ってくれたのが奥様だそうだ。お金が無い時に何処からかお金をひねり出してくれる存在でもあったらしい。氏曰く「かみさんは年上がいい。(氏のところは3歳上)なのに、息子は17歳も年下と再婚した・・・」、「これでも外に出れば『先生』なんて言われることもあるんだけど、此処じゃ彼女が社長だもんな~」とか、「『なんでこんなにお客様が来ないんでしょうかね~』なんて言われるんだよ」などとノロけ通しであった。

此処で新たなお客さんが入店。「先生、ご無沙汰しています!北海道から参りました!」と愛弟子のような人だ。
邪魔をしてはいけないし、車を停める場所も無さそうなので「そろそろおいとまいたします」というと「車の場所を入れ替えればいいよ。もう少し聴いていきなよ。」との有難いお言葉。

車の入れ替えをしている間の家人とのやり取り。
その①・・・「いや~、参ったな~。誰だかわからないんだよ」、あれ~、常連とか愛弟子じゃないのか。まあ信者は沢山居るししょうがないか。
その②・・・「奥さん、お願いがあるんだけど・・・」、「???」、「この本1000円で買ってくれないかな~」。
車の位置を入れ替えて戻ってくると深緑の表紙の小冊子を家人が受け取っていた。
この小冊子は「再会」というタイトルで、亡き平岡正明氏との幻の再会を綴ったものだった。佐久間氏は平岡氏とFM番組のDJを4年間やった仲で、佐久間氏は平岡氏のジャズに関する造詣の深さに、そして平岡氏は佐久間氏のアンプ造りに尊敬の念を持っていた。僕も平岡氏の本を数冊読み、彼の早すぎる死を残念に思っていたのだが、佐久間氏は平岡氏のことを「平岡さん、とても良い人でしたよ」「でも極左だから公安が付いてくるんだよね」などと懐かしんでいた。せっかくなので、「再会」の見開きに神様にサインをしていただいた。

ありがたやありがたや。

例の未発表のアンプにも灯が入り、DAT音源のジャズが今度は「仕事部屋」の奥にあるALTECから再生される。「良い音だな~」とまた独り言、でも本当に嬉しそうだ。幸せな人なんだな、いや神様か。
「もう少し聴いていきなよ」との有難いお言葉を頂いたが、名残惜しいが帰りのフェリーの時間も気になるのでと言うと、「今日は風が強いから(フェリーは)やめた方がいい、沖に出ると風が強いよ」と最後まで気を遣ってくれた。
ハンバーグ定食2人前、コーヒー2杯、小冊子「再会」付きで5,000円也だが、よく考えれば神様のお言葉付だったなと納得。帰り際に「ハンバーグ美味しかったです」と家人が言うと、「俺は料理人、それで5回もテレビにも出たんだ」とちょっと語気荒く。あくまでも仕事は料理、アンプ造りは趣味と言うスタンスは崩さないらしい。

15時前に少し後ろ髪を引かれながらもコンコルドを後にした。
「お百姓市場房総の蔵」で野菜、落花生、蜂蜜を買い、神様のお告げ通りにアクアラインを通って無事東京湾の対岸に戻った。

沈み行く夕陽に紅く染まる空を見て、「ああ今日は良い日だったな~」と思った。

ツァラトゥストラはかく語りき だね。

2018年12月28日追記:
12月14日に佐久間さんが逝去されました。
年が明けたらコンコルドに伺おうと思っていた矢先の訃報に驚いています。
結果的にはたった一度お会いしただけとなってしまいましたが、私のオーディオ人生に大きなカルチャーショックを与えていただいた事を改めて感謝したいと思います。
「真空管の神様」と呼ばれていた佐久間さん。こういう場合、「神様」もやはり天国に召されるのであろうか・・・謹んでご冥福をお祈りいたします。