(黎明期)コルト
オーディオとともに僕の人生に彩(いろどり)を添えてきたもの、それは車だ。
自動車メーカーに職を得たこともあり身近な存在である車だが、免許を取って40年余り、沢山の車に出会い、そして別れてきた。その軌跡を振り返ってみたい。
(注記:文中の車の写真は実際に所有したものとネットで拾い集めたものが混在しています。)
僕が車と出会ったのは10歳の頃。その当時としては珍しい自家用車が我が家にはあった。新しい物好きの父が仕事の足用にと買ったらしい。ただし駐車場のない家だったので車はいつも路上駐車、しかも家からはかなり離れたところだった。鎌倉市なのになぜか多摩ナンバーの車だったのだが、その頃の多摩地区は車庫証明なしで車を登録できるノンビリとした所だったのらしい。今でいう「車庫飛ばし」である。
車は三菱のコルトだった。記憶では四角目だったような気がするのだが、コルトが四角目になったのは1968年のコルト1200で、我が家のコルトはそれよりも前からあったような気がするので最初は丸目のコルト1000か1100だったのかもしれない。宇宙船みたいな中途半端に銀と茶の混じったような色のメタリック塗装だったような気がするが、残念ながらこの車の記憶はほとんどない。
13歳の頃に鎌倉市内で引越しをした。今度は敷地の中に車を停められる家だった。 それとは別に家の前に道路を挟んで空き地があり、近所の人たちが車を停めている。その中に近所のお兄さんのブルーバードが停めてあった。丸目4灯の410型である。ピニンファリーナがデザインした流麗なスタイルの車である。
というようなことは関係なく、この車に事故ちゃった話。
家には駐車場があるし、道を挟んで空き地もあるしということで我が家は2台持ちとなった。父の車が何だったのかをなぜかあまりよく覚えていないのだが、おそらく日産のローレルだったのだと思う。その次のローレルが2台目だったことははっきりと覚えているので。
もう一台は三菱のミニカという軽自動車。この車自体のことについては後でもう少し詳しく述べるけど、母用として増車したものらしい。
比較的小さいころから親の運転を見て育ってきたので、どうやったら車が動かせるのかは理解していた。
ギヤがニュートラルに入っていることを確認してエンジンを掛ける。クラッチを踏んで、ギヤを1速に入れて、アクセルを踏み込みながらクラッチを放していく・・・という手順は頭に入っている。なので、空き地に停まっているミニカで試してみようというのはごく自然ななりゆきだった。ただ一つ正しい理解が足りない点があった。それはパーキングブレーキさえ引いておけば車は動かないであろう、いや絶対に動かないという思い込みだった。
その日、僕は家からミニカの鍵を持ち出して軽い気持ちで前述の始動の儀式をやってみたのである。パーキングブレーキを引いたままだったので車は動かない筈だったので・・・そんなわけはなかった。
ミニカはちょっと苦しげにではあるが発進した。そしてその時初めて気付いたのだが、ミニカの目前にはかの410ブルーバードが停まっていたのだった。
1メートルほど走ったミニカは哀れなブルーバードに追突して停まった。ブルーバードの金属バンパーが少しひしゃげたような気がする。あちゃ~、人生初の自動車事故、しかも無免許の加害事故・・・どうしよう。サーっと血の気が引いていくのを感じた。
隠しきれることではないので、早速事故の経緯を母親に報告。母親は近所のお兄さんに謝りに行こうと思ったのだが、何処に住むなんというお兄さんかがわからない・・・昔は呑気だったんだね。
数日後、車を動かしに来たお兄さんに駆け寄って事の経緯を説明し損害賠償の話をしようとしている母に「いいですよ~、ボロだから」の一言でお兄さんは勘弁してくれた。
お兄さんありがとう!410ブルーバード大好きです。