一年ほど前にふとした機会でベートーヴェンの後期ピアノソナタと出会った。ベートーヴェンがその晩年の1820年から1822年の間に作曲した第30番、第31番、第32番の3曲である。
作品の内容について語れるほどの知識もバックグラウンドも無いのでそれは飛ばすのだが、僕なりに究めたいと思わせる作品群である。
この作品群は多くの演奏家によって演じられ、多くのメディアがリリースされている。所謂マニアの方々を考えれば足元にも及ばないものではあるが、我が家にあるものを並べてみる。
上段の三つがアナログ(LP)でアシュケナージとバックハウスとグールド、下段がデジタル(CD)音源のポリーニとリヒテルとバックハウスとケンプ。SACDやハイレゾ音源は今のところ持っていない。 (このあと、よくよくNASの中身を見たら園田高弘とゼルキンとゲルバーのも発見したが、それらは図書館で借りたCDをリッピングしたものなのでメディアでは所有していない。)
よく見るとわかるのだが、アナログとデジタル両方が揃っているのは今のところバックハウスだけだ。
NASの中のものも入れれば、アナログ3つ、デジタルが6つと1/3もあることがわかった(ゲルバーは第32番のみなので1/3とカウント)。 僕としては画期的な出来事ではある。
それぞれの音源の音の良し悪しを測り知る上で格好の題材だが、この作品群に関しては演奏家による解釈とそれに基づく演奏そのものの方が重要に感じる。オーディオファイル(audio fileではなくaudiophileの方)の僕にしては珍しい反応だと自分でも驚いている。
とはいえ、
①SL-1200GAEでのレコード再生
②K-05でのCD再生
③NA-11S1でのNAS音源再生
④PC+Brooklyn DAC+によるNAS音源再生
⑤K-05→Brooklyn DAC+によるCD再生
と多くのバリエーションに加え、Amazon Musicでのストリーミング再生もできるので様々な楽しみ方ができる。
でも、それ以上に興味深いのは演奏家による違いである。僕なりの印象をいくつか述べてみる。
アシュケナージ・・・ショパンなどの他の曲でもそうだが、この人はあまりにそつがない。万事手落ちがなく無駄もない。安心して聴けるのかもしれないが、この作品群に関してはあまり思い入れを感じられない、と言ったら言い過ぎだろうか。
リヒテル・・・アシュケナージと対極の演奏。平気でミスタッチ連発だが力強く熱い演奏。だが、ベートーヴェンがそういうものを期待していたかどうかは疑問である。
グールド・・・この人らしい解釈と演奏。あまりに早く弾くところでは毎回「これでいいのか?」と考えさせられる。
で、僕的にはバックハウスの演奏が一番心に響く。一見地味ではあるが、技巧に走らず、誠実で真摯な演奏だ。
しかも①のレコード再生が②~⑤のデジタル再生を大きく凌ぐ。このレコードは今は亡き横浜ダイエーのレコファンで450円(5枚以上のまとめ買いだったので実質は250円)で購入したもの。ジャケットもペラペラの安物っぽい雰囲気だし、盤質もあまり良くない。何度も洗って針飛びはなくなったがパチパチノイズは盛大に残っている。
それでも良い、心に響く。シュアーのV15 Type-3にJICOのベイシーモデルという強い味方を得て凄いことになっているのだ。
オーディオは面白い。
V15 Type-3ばかり使っているとベイシーモデルの針も摩耗してしまうだろうからと、カートリッジをM44G Woodyに交換した。負荷容量は450pFのままで針圧は2.2グラムに。
これがまた良いんだ、豊穣な感じ。
ものは試しと、いつもならDL-102で再生するモノラル盤も掛けてみる。一応、アンプの方で「MONO」にしてあるんだけど。
全然問題なし、というかSonny Stittがむせび泣く。
話が随分それてきたのでおしまい。