昨年の大躍進で自宅のオーディオ機器もようやく落ち着きを感じるようになった。
一足飛びで今の構成に行き着いたわけではないし、これからもまたいくつかの変化があるだろう。
ここで足を止めて、ここに至るまでの足跡を振り返ってみたい。
今回は黎明期の巻。はじまりはじまり・・・
黎明期(1970年代)
自分の初ステレオを持てたのは高校時代。
家を新築し、自分の部屋ができたとのほぼ時を同じくして買ってもらったように記憶する。
当時は4チェンネル全盛時代。
各社各様の方式が乱立していたが、その中にあって「どの4チャンネル方式にも対応」と銘打ったパイオニアのレシーバーQX401を購入。たしか68,000円だったと思う。
それに組み合わせるスピーカーは、同じくパイオニアのCS-E45という密閉2ウェイだった。
25センチのウーハーとドームツイーターの構成で、ウーハーが独特の茶色系だった。
ツイーターはジュラルミン・ドームで前面の特殊フィン(ディフューザー)が精悍で特徴的だった。定価は1本、25,500円。
当然、リヤスピーカーもパイオニア製のブックシェルフを用意したが、こちらは予算の都合で2本で16,000円ぐらいの安物だった。型番も覚えていない。
当時の音源は、なんといってもレコードだった。
プレーヤーはたしかパイオニアのPL-25E。(30,000円)どのようなカートリッジを付けていたかは覚えていないが、当初はプレーヤーに付属してくるものですませていたのだろう。
こうやって振り返ってみると、装置は全てパイオニア製品。電気屋に「同じメーカーで揃えれば間違いない」とでも言われて、それを鵜呑みにしたのだろう。
いずれにしても、多くの友人の家にあった家具調のダサいステレオ(60年代はそれが普通だった)と比べると、僕のコンポ(バラで揃えるステレオ)は光り輝いて見えたものだった。
配達されたステレオを結線し(ひょっとしたら電気屋さんが結線してくれたのかも)、QX401の電源を入れた時の感激が忘れられない。
QX401は青いイルミネーションで、今で思えばマッキントッシュとよく似た色合いだった。あの青いイルミネーションとナガオカのレコードスプレーの匂いが僕のオーディオの原風景である。
その頃はどんな曲を聴いていたのだろうか。
当時鎌倉に一軒しかなかったレコード屋(この言葉も死語になりつつあるが)の楽聖堂で初めて買ったLPは、吉田拓郎の「元気です」と笠井紀美子の「Whats New」だったような気がする。ひょっとしたら、コルトレーンの「Ballads」だったかもしれない。
順不同に思い出せば、EL&Pの「展覧会の絵」、キングクリムゾンの「クリムゾンキングの宮殿」、レッドツェッペリンの「Led ZeppelinⅡ」、ピンクフロイドの「吹けよ風、呼べよ嵐」、イエスの「こわれもの」なんかもよく聴いていたような気がする。
こうやって顧みると、どちらかといえばハードロックが好きだったのだろう。
高校の授業を自主的(勝手)に早退して、武道館や後楽園球場のコンサートにもマメに通っていた。
前述のエマーソン・レイク&パーマーやイエス、シカゴ、レッドツェッペリンなどのコンサート会場の熱狂的な歓声(喚声?)が懐かしい。
そんなロック小僧にとって、パイオニアのステレオは宝物だった。
ラウドネスをONにして大音量で鳴らせば(ラウドネスは小音量時の量感補正のためにあるなんて知らなかった)、CS-E45のウーハーがボコボコと前後に動く。
今考えると、ウーハーが目で見えるほどにストロークして音質的に良いわけはないんだけど、当時はそのピストンモーションを見て、胸が踊ったものだった。
パイオニアのレシーバーQX401は当時全盛の4チャンネル対応だったが、4チャンネル再生にはあまりのめりこまなかった。4チャンネルの音源が無かったせいだろう。
数年後には4チャンネル自体もいつの間にか忘れ去られていったのだった。
きちんとしたFMアンテナを建てていたわけではないので、FMの音質もハイファイというには程遠く、自分の部屋で聴く唯一の音源はLPだったのだが、所詮高校生の小遣いでは毎月のようにLPを買えるわけでもなく、数少ないLPを繰り返し聞いていた。
そんな頃、バングラデッシュの飢饉を救うチャリティ・コンサートが行なわれ3枚組みのLPが発売された。ジョージ・ハリソン、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、レオン・ラッセル等世界の一流ミュージシャンがマジソン・スクエア・ガーデンで行なった大イベントである。
しかし8千円ほどするアルバムを買う資金が無く、高校の友人に数日借してもらった。素晴らしいコンサートだった。
数日後に友人に返すときの悲しい気持ちが忘れられない。
という事もあり、LPの音質をそのままに録音できるもの、すなわちカセットデッキが欲しくなった。
だが、5~6万円はするカセットデッキを手に入れることができたのは、浪人生活を経て大学に入ってからのことだった。
カセットデッキは、その分野で抜群の技術力を持つ(と思い込んでいた)ソニー製のものを迷わず購入した。
TC-4250SD(67,800円)である。
このモデルを選んだのはなんといっても、上面にある二つの入力レベルコントロールのスライド・スイッチに魅力を感じたから。
当時、自宅に集まった友人と夜な夜なギターを鳴らし、唄を歌っていたのだが、それをカセットテープにして残すのが至上の喜びだった。そうした生録にも凝り始めていた僕にとってTC-4250SDは強い味方になったのだった。
その頃はまだメタルテープ(タイプ4)が登場する前で、テープの種類はノーマルテープ(タイプ1)、クロムテープ(タイプ2)と最上位の今は無きデュアドフェリクロムテープ(タイプ3)があった。
金の無い学生身分、基本はノーマルテープで録音、ちょっと気合を入れるときはクロムテープだった。デュアドフェリクロムテープについては、カセットデッキのおまけで付いてきた1本しか持っていなかった。
1974年に始めた自宅での年越しライブは1980年まで続いた。(今あらためて聴き直すと冷や汗ものである。)
(続く)