マイカーの軌跡 ③

(成長期)ジェミニ、ジェミニD、アスカ、ゴルフ、ベクトラ

1979年、自動車会社に就職した。所属は乗用車設計部。 通勤の足となる車だが、自動車会社に入って他社製品というわけにはいかないので自社製品のジェミニ1800LSを購入した。

いすゞ ジェミニ

後にFFジェミニという商品も出てくるが、この1800LSはGM系のオペルが開発した世界戦略車でFR。本国の西ドイツ(まだ東西ドイツは統一前)ではオペルカデットという名のベストセラーだった。

ボディやシャシーの基本設計は元となるカデットのコピーだが、搭載するエンジンとトランスミッションはいすゞ独自のもの。本国のカデットのベースモデルの排気量が1200CCからだったのに対し、ジェミニは1600CCのSOHCからスタートして最後は1800CCのDOHCまで進化していった。
そうしたジェミニの中にあって僕が手に入れた1800LSはオペルのオリジナルデザインの最終型でSOHCの110PSというものだった。

直前まで乗っていたシビックから変わったところは排気量だけでなく、トランスミッションが4速から5速に、そしてエアコン(じゃなくてクーラー)も付けていたので、初めて買った新車ということもあって全般的に大きなグレードアップとなった。

ピカピカの新車を会社に乗っていくと、さっそく車好きの先輩の洗礼を受けることになった。
まずはデカールを全て剥がされた。そして「週末に青山のピットインというカーショップに行って○○と△△とXXを買ってこい」との命令。なんだかよく分からなかったが言われた通りに買ってきたのはオペルカデットのヘッドランプとドアミラー、カデットGTEのステッカーなどなど。それに加えてステアリングホイールはMOMOに、ホイールはカンパニョーロにという変更も後日させられた。ヘッドランプやドアミラー、ステアリングホイールなどの取り付けは全て自分でやるので、入社早々大変勉強になった。

結果的に僕のジェミニ1800LSは「オペルカデットGTEもどき」となったのだった。僕のは4ドアのセダンだったけど・・・

オペル カデットGTE

この頃のマイブームは清里方面。甲斐大泉のペンションに何回も通っていた。

八ヶ岳の南麓にできたばかりのいずみラインが未舗装路で交通量も皆無だったこともあり、カウンターを当てながら全開のダート走行を楽しんだりした。

排気ガス規制対応の二次空気噴射システムなどもあって吹け上がり、回転落ちともにちょっとダルいところのあるエンジンだったが、欧州を感じさせる(カデットの兄弟車なのだから当たり前だが)デザインと雰囲気が素敵な車だった。自分の乗った車を好きな順に並べたら1番か2番にくる車である。

赤と黒を基調とした内装、そしてシビックの時より更に進化したパイオニアのカーコンポが自慢だった。

4年ほど乗ったジェミニ1800LSを下取りに出して買ったのがジェミニディーゼルターボ。

いすゞ ジェミニ ディーゼルターボ

自分が設計した部品が色々と付いていたこともあり、また電子制御化され黒煙を噴かなくなったディーゼルターボにも興味があった。今考えると時代先取りの低CO2排出車である。

この車は3速のAT(オートマティックトランスミッション)。この後、英国で乗ったフロンテラ以外は全てATとなっていく。
地味な車だったのであまり強い印象は残っていないが、ディーゼルとATの組み合わせが思いのほかパワフルだった。

長男の誕生に前後して1985年にアスカに乗り換えた。

いすゞ アスカ

この車もGMの世界戦略車で、いすゞ以外にもシボレー、ビュイック、オールズモビル、キャデラック等のブランドの兄弟車が存在するJカーというプラットフォームだった。

かなりトリッキーな設計だったGM向けの車をベースに、日本市場向けにかなり手を入れたものだった。

2000LFを購入して、アルミホイールの大径化とタイヤの扁平化、ウレタン製のリヤスポイラーを付けたりのカスタマイズをして乗っていた。
FFで室内、トランクともに広くてユーティリティは高かったが、全般的に大人しいコンセプトで存在感は低かった。カーステレオを上のグレードのものに取り替えたりしてはいたが、この車以降はカーオディオを自分でいじることはやめてしまった。

自社製の車に3台(親の車も入れると6台)乗り継いだので、新たな血を求めてVWゴルフに乗り換えた。2代目のプラットフォームでエンジンは1800CCのSOHCと平凡だが、四灯ヘッドランプと55%の扁平タイヤ、BBSホイールが付いた限定車のGTにした。

VW ゴルフGT

この車、僕にとっては初の外車ということもあり、且つ会社に入って初の自社製でない車ということもあり色々な期待があったのだが、さして速いわけでもなく、かといって外車らしい華々しさもなく・・・ということで大枚を叩いて買った割には満足度は高くなかった。

しかしながら、名車ゴルフの2代目だけあって乗るうちにジワジワとその良さがわかってきた。一言で言えば「バランスの良さ」ということだろうか。エンジン、シャシー性能と車体のバランス、そしてパッケージングの良さ、豪華さはないが質感の高い内装などなど。

唯一の弱点はラッゲージスペースが小さいことだった。ちょうど二人目の子供が生まれ、バギーを載せることが多かったのだが、バギーを載せると他のものがほとんど載らないのには困った。この弱点がこの車を手放す直接の原因となった。

ゴルフGTから乗り換えたのは同じドイツ車のオペルベクトラだった。かつての世界戦略車であるJカーの末裔である。

この車もドイツのアダムオペル社がイニシアチブを執って開発した車で、一世代前のJカーが北米市場を強く意識して開発されたのに対して欧州市場への適合性を重んじて作られた車だった。 GMの車なので日本ではいすゞの販売店で売っている。期末の特別割引きもあって買い得な値段で手に入れることができた。

オペル ベクトラ

エンジンは2L(ここから排気量は「L」で表記)のSOHCと地味なスペックだったが、低速トルクがあって乗りやすい。4速ATのオーバートップが「浅い」ギヤ比だったので、高速巡航でのエンジン回転数は3速ATのゴルフに比べてかなり低く抑えられていた。

トランクも十分に大きくて娘のバギーを積んでも十分なスペースが残ったし、欧州車らしく高速でのハンドリングや快適性もゴルフGTとは比べ物にならないほど優れていた。贅沢な作りではないが内外装もゴルフより高い質感だった。全てにおいて満足度の高いベクトラを得て、「この車に10年乗るぞ!」と決めたのだった。