脱長岡教??

書斎の新システムだがちょこちょこと弄っている。今回はスピーカーの設置に関する変更をば。

スピーカーに限らず、アンプやチューナー、ACアダプターなどの筐体の上には錘を置いてしまう習慣が抜けない。これは長年にわたって「月刊Stereo」誌などのオーディオ誌で故・長岡鉄男さんの記事を愛読していた影響であることは間違いない。Stereo誌だけでなく、氏の書いた単行本やムック本もいまだ多数所有しているし。
新システムは手作り家具屋さんから購入したカントリー調のローボードにいい感じにレイアウトされてはいるのだが、天板の凸凹もあってスピーカーの足元が今一つ強固にキマっていない。こういう時、長岡教の信者、すなわち長岡鉄男氏イズムに薫陶されたオーディオフリークは間違いなくスピーカーの上に錘を置く。そして勿論僕もそうしていた。
余談になるが、手作り真空管アンプ道には佐久間駿さんという巨匠、というか仙人のような方がいて、佐久間教の信者というのも存在するのだ。氏の経営する南房総館山のレストラン、コンコルドで一度だけお会いしたことがあるが、半田ごてを持つことがほとんどない僕ですら、氏の人間性と音に触れ、佐久間教の信者になろうかと思った。残念ながらお会いした年の暮れに佐久間さんが亡くなってしまったので、その思いを果たすことはなかったが。
話は戻る。3kgの鉄アレイを背負ったスピーカーを見ていると、苦行僧というか拷問を受けているスパイみたいに辛そうだ。音の方も、伸びやかさや余韻の美しさが感じられない一因かもしれないと思い始めた。で、錘を取り去ってみた。ついでに真空管ハーモナイザーのLXV-OT6改の上に乗っていた1㎏の鉄アレイも。

錘から解放

このままだと天板の凸凹のせいで四つあるAT-6099のうちの一つがスカスカに動いてしまう・・・機器の三点支持は理論的にガタが出ないので、こうした場合には四本足から三本足にすべきだと思って前2点、後ろ1点の三点支持に変更した。
今までの重戦車から軽快なスポーツカーになったような、ある意味頼りない見映えだが音の方はどうかというと・・・これが良いのだ。このケースにおいては、錘を取り去ることも、三点支持にすることもどちらも良い方向に作用した。
伸び伸びとした、軽やかな、かといって低音の量感が減ることもなく、心なしかハーモニーも綺麗になったような。苦行から解き放たれたスピーカーが朗々と鳴っている・・・ような気がした。
暫くはこれでいってみよう。