江ノ電完了、小田急へ

ここ数日かなり暖かい陽気の中を歩いている。そろそろウォーキング時の服装も見直す時期が来たようだ。
本日の距離を加えて江ノ電の終点藤沢駅に到着。前回が鎌倉高校前だったので、その先藤沢駅までの各駅のエピソードを書いておきたい。

<腰越>
鎌高前を出た江ノ電は海岸を離れ切通しを通って腰越に向かう。途中、民家の軒先と電車が大接近、おそらく沿線で最も近接する区間であろう。車窓から手を伸ばせば洗濯物に触れてしまうような距離である。腰越駅は鎌倉市最後の駅でもある。

<江ノ島>
腰越駅を出ると路面電車区間になる。路面には白線が描かれているが、これは「これ以上内側にいると電車と接触するよ」という限界を示している。とはいえ地元の皆さんは江ノ電が迫ってきてもギリギリまで白線の外には出ていかない。まあ江ノ電の方も車、自転車、歩行者を見ながら走行しているのでこの区間で大きな事故があったという話は聞いたことがない。
龍口寺の前のS字を大きく曲がると路面区間は終了、ほどなく江ノ島駅に到着する。

<湘南海岸公園>
瀟洒な邸宅が松林の中に点在するこの一帯は沿線一のハイソな地域でもある。

<鵠沼>
境川に掛かる橋梁を渡ると江ノ電で一番きつい曲率のカーブを経て鵠沼駅に到着する。ここから先は境川と引地川に挟まれた鵠沼地域を江ノ電は走っていく。

<柳小路>
鵠沼の住宅街にある地味な駅。結婚して最初に住んだアパートの最寄り駅でもある。
1982年9月12日の台風18号ではこの辺りが広範囲な洪水に見舞われた。浸水家屋は2,000軒以上、我がアパートもあえなく床上浸水となり、深夜に鎌倉の実家に避難した。いつもの駐車場に車を停めずに坂の上の道路に駐車しておくという咄嗟の判断が愛車のジェミニを水没から救った。

<石上>
ここまで来ると藤沢駅が見えてくる。この駅を過ぎると江ノ電は高架となるが、かつては地面を藤沢駅まで走っていた。

<藤沢>
江ノ電の終点。現在は小田急デパート(旧江ノ電デパート)の二階にプラットフォームがある。かつては南口広場の西寄り、現在新生銀行が入っているビルの辺りに平屋の江ノ電の駅舎があったような気がするのだが、1974年、僕が浪人をしている頃に高架駅に移転していたので、移転に関わる記憶はほとんどない。
旧江ノ電藤沢駅の近くのマタリという喫茶店によく通った。今はビルになっているが、当時は二階建てで店内の客席に(螺旋?)階段のある造りだったような気がする。マタリは現存していて、喫茶店というよりはカジュアルな飲み屋という感じだ。会社の宴会の二次会によく利用した。
もう一軒、ドルチェという喫茶店が国道467号線(通称:藤沢町田線)の跨線橋の傍らにあったのだがいつの間にか消えてなくなっていた。こちらは入口に水出しコーヒーの大きな仕掛けが置いてあるちょっとハイソな雰囲気の喫茶店だった。客席の椅子もソファー的なものがあったりしたような。ちょっと大人数でコーヒーという時はドルチェだったなぁ。

現在の藤沢駅

これにて江ノ電の思い出はお終い。

で、次なる路線は小田急電鉄とした。これまた高校、大学、そして社会人になってから数々の思い出のある路線である。
小田急は新宿発でまずは片瀬江ノ島を目指すことにする。その後、相模大野まで戻って小田原に、そして新百合ヶ丘からの支線を唐木田まで、合計120kmあまりだ。本日の残り距離を加えると新宿を出た小田急は南新宿、参宮橋、代々木八幡を経て代々木上原に到達していた。駅間が短いのでちょっと忙しい。

ウォーキングの草木には本格的な春が近づいてきた。これからソメイヨシノの開花までに様々な花が一斉に開花する様には毎年のことながら感動する。

引地川親水公園のユキヤナギ
引地川親水公園のアセビ
ソメイヨシノの蕾も色づき始めた